イタリア・フィレンツェより、″とっておき情報″ Vol.3

Vol.3

“CORRI LA VITA”

 

ジェラートブレイクの後は後半戦に臨みます。

前半をお届けしてから公私ともに雑用に追われ、すっかり御無沙汰をしてしまいましたが後半はフィレンツェのもう一つの顔、オルトラルノ地区を歩きます。

オルトラルノとはOLTRE ARNOが短かくなった言葉。アルノ川の向こう側と言う意味があります。

大聖堂やヴェッキオ宮殿、ウフィッツィ美術館などが建つ歴史中心地区のアルノ川を挟んで反対側、そこにはメディチ家の住居であるピッティ宮殿を始め、ボッティティチェッリのお手本にもなったフィリッポリッピの作品の残るサントスピリト教会、ルネッサンスの絵画における改革の立役者マザッチョの作品が残るカルミネ教会などがあります。

古き良きフィレンツェの面影が濃く残る町、数多くの伝統職人工房が集中しているところでもあります。町のパトロンでもあったメディチ家が住居をべッキオ宮殿からオルトラルノ地区にあるピッティ宮殿に移した時、いわゆるご用達の伝統工芸職人たちを宮殿近くに集めたのが始まりだそうな。中世の歴史は現在にも反映し、昔ながらの職人工房やアンティークショップが数多くあつまります。またアーティストが集まるこの地区にはモダンアートショップややセレクトショップなどが古き良き歴史と共に共存しています。




“フィオレンティーノDOC”、DENOMINAZIONE DI ORIGINE COTROLLATTA の略でワインの格付けに用いられ名称ですが、ここでは生粋のフィレンツっェ子と言ったニュアンス。東京の浅草下町育ちって感じですね。残念ながらここ花の都フィレンツェを訪れる旅行者の多くは、もちろん時間の関係もありますが、ここまで足を延ばされる方は少ないようです。

それではまず目指すはSERRAGLI 通り。この通りには中世時代の貴族や有力市民、著名人の住居が残ります。今回、公開されているのは9番地にあるPalazzo Antinori di Brindishiワイナリーでもおなじみの アンティン―リ家の分家の住居跡。本家の住居ははレストラン“カンティネッタ アンティノ―リ”のあるアンティノ―リ広場にあります。

 


通りに面する簡素な造りからはイメージできない美しいアーチの連なる馬車通路をぬけると美しい中庭に出ます。現在はアパートメントに改造されアンティノ―リ家の方はお住まいでないようです。ちなみにこの通りの40番地にはベルよりも早く電話を発明したアントニオ・メウッチの住居が残ります。

次に目指すはPalazzo Magnani Feroni.

 


15世紀の裕福な階級の住居であったもの。現在は改造され、12ルーム全室がスイートルームからなる由緒あるレジデンスホテルとなっている。

 

1屋上にあるBARからは360度フィレンツェのパノラマが一望できます。素敵な夏の夜を過ごせるアナ場となっています。

 

次にめざすはPITTI 宮殿です。

メディチ家の最後の住居となった宮殿です。当初、裕福な貴族LUCA PITTIのものであった宮殿はボンタレンティが設計。1549年コジモ1世の妻、エレオノ―ラにより購入されメディチ家の住居となる。その後はサヴォイア王家にわたり現在は市立美術館として公開され、ラファエッロを始め多くの傑作が展示される。しかし今回は宮殿は素通り。


我々が向かうのはその宮殿の背後に広がる広大なボボり庭園。

調度一休みしたいなと思った時に出くわしたのがここ。広大なルネッサンスイタリア様式庭園内には16世紀に造られ休憩所が何か所かあり、一番古いものがこれ、ネサンス期の発明家ブオンタレンティの代表作の人工洞窟「グロッタ・グランデ」です。中はフレスコ画や大理石彫刻、海綿で装飾され、中央には噴水があります。中は三部屋に分かれ、ジャンボローニャやヴィンチェンツォ・デ・ロッシの彫像で装飾されています。
涼もうと思ったのはつかの間洞窟は我々が到着するとともに無残にも閉められてしまいました。でも外側からパチリ!そしていよいよメイン通り、階段を上って上に聳え立つべルヴェデ―ル要塞まで上がって行きます。後ろを振り返ると・・・宮殿の後ろ側です。

 


宮殿裏のオベリスクの建つ広場の右手奥には円形劇場跡があり、長いイタリアの夏にはそこで野外オペラが上演されます。仮設のBARも作られ、上演前によく冷えたプロセッコ(発泡性の白ワイン)を片手に、中世のお城をバックにアぺリするのもまたおつなものです。

 

続きはVOL.4でご紹介します。

お楽しみに。

 

 

―宮武倫子―

ヴェニス・イタリー・トラベル(Venice Italy Travel)

フィレンツェ事務所